憧れのニュータウンから生活文化豊かな暮らしの街へ

標記のタイトルで、「日経千里コンシェルジュ」という日経新聞の地域限定情報サイトに投稿しました。このサイトは日経新聞社の新しい実験的な取り組みで、興味深いのですが、会員限定となっていますので、一般の方はご覧頂けません。そこで、投稿内容を、以下にご紹介します。(山本一馬)

■千里の街づくりを考える
 憧れのニュータウンから生活文化豊かな暮らしの街へ(07/01/26)

 毎朝、新鮮な空気に包まれて歩いた上り坂、北千里駅から大阪大学までの通学路が、私にはじめに千里の街を印象づけたシーンでした。駅から街路樹に沿って住宅地を抜け、さらにグリーンベルトを超えて大学の門へと至りました。大阪市内の繁華街や東大阪市のところどころ農地が残る住宅と町工場が混在した街に育った私にとって、北千里から大学までの道筋は、よく整えられた実に美しい環境でした。晩秋になると、見事に紅葉する街路樹を写真に収めたり、写生したりする人もいて、近隣の方に愛された場所であり、緑豊かなニュータウンを体現していると、授業で習った近隣住区論を思い出しながら、感心していました。
 そのような気持ちのよい環境でしたが、学生の私にとってはなにか退屈に感じるところがあり、研究室の知人と議論する際に、大学まで行かず、心斎橋や中之島のカフェで論を交わしたこともありました。もちろん、北千里にも千里中央にもカフェもあれば、居酒屋やバーもありましたが、“らしさ”が感じられず、退屈だったのです。私の大学院時代の研究テーマは、「人が自分らしさに気づき、その自分らしさにあった街を見つけ暮らせることがひとつの理想であり、そうすれば、人と街が互いに育みあって、幸福になれる、そのために、街をどのように創っていけばよいのだろうか」というものでした。心斎橋には心斎橋の、千里には千里の、それぞれにその街らしいカフェがあり、人の息づかいがあるはずです。
 とはいえ、当時でも30年近く育まれた緑の環境は心地よいもので、私の楽しみは、冒頭に挙げた街路樹の立派な通りを歩くことをはじめ、毎日のように、異なったルートで大学までの道のりを散策することでした。そこには、人の手によって丁寧に育まれた身近な自然、小さな季節の移り変わりが感じられたのです。
阪急北千里駅から大阪大学へつづく並木道

 ─ 阪急北千里駅から大阪大学へつづく並木道 

●与えられた街から、わが街へ
 「定年ゴジラ」という本を紹介します。直木賞作家の重松清さんの小説で、東京郊外のニュータウンに住む主人公が、定年を迎えた時、緑豊かな環境の中で、何もすることがなくなってしまった。昔、憧れて理想のニュータウンに分譲地を購入したが、定年後のその時には、つまらなくなってしまったその街を恨めしく思い、お酒の勢いもあって、建設時の街の模型を、まるで“ゴジラ”のように踏みつぶしたシーンから、タイトルがつけられました。けれど、その後、主人公は同世代の仲間を見つけ、均質なように見えたその街にも、ひとりひとりの様々な人生が刻まれていることに気づき、自分らしい生き方を見つけていくのです。著者のリアルな心情描写が魅力の作品です。この主人公は、定年を迎えて、はじめて、 “購入した暮らし”、“与えられた街”ではなく、“わが街”を手に入れたのです。
 街開きから既に40年以上が経過し、千里ニュータウンには、街並みや生活シーンの中に千里らしさが現れていることでしょう。しかし、先程のカフェの例のように、まだ、緑に包まれた千里らしい住宅地環境と駅前の商業地を見比べると、千里らしさという点で違和感を覚えます。今後、「この店より、梅田の店の方がいろいろとそろっているね」という会話ではなく、「この店って、こぢんまりしているけど、千里らしくていいね」という会話が当たり前に聞かれるようになっていけばと思います。もちろん、“この店”は、“この道”、 “この景色”、“この雰囲気”など全ての生活シーンに置き換えられます。
 このらしさづくりは、与えられた街から、わが街への変化であり、街の成熟といえます。わが街づくりの方法のひとつに、コミュニティディベロップメントという考え方があります。これは、その街のらしさは、その街の人が一番よく知っているはずであり、街づくりを地域の生活者自身が関わって手がけていくという発想です。そういう意味では、近年増加している千里での老朽マンションの建て替えが、住民主体で行われている点は評価できます。今後は、マンション単体だけでなく、住宅地全体や商業地においても、コミュニティディベロップメントの発想を採り入れていくことが期待されます。
そのような発想で街の緩やかな再編に挑戦している事例を紹介します。千里から、西に少し離れた阪急宝塚線の豊中駅前に、B-FLAT(びーふらっと)という手作り作品の展示販売と様々な文化教室を営む、変わったシステムの店舗があります。この地域は、千里と同じように、教育や文化の豊かな街と言われています。駅前の商業地には、数多くの金融機関や学習塾が目に付きますが、残念なことに、それほど文化的雰囲気のある街並みや文化の香りは感じられませんでした。実は、最近では、健康や文化をキーワードに豊中らしさにこだわった商店や飲食店は、駅から少し離れた住宅地の中に増えていることがわかりました。そこで、そういう動きがあるのなら、現に色々な文化的活動をする人たちに駅前に来てもらうこともできるのではないかと企画されたのが、(有)豊中駅前まちづくり会社が経営するB-FLATでした。文化活動に携わる市民に駅前に集ってもらうことで、駅前の雰囲気を変えたいとの想いがあったのです。B-FLATでは、日ごと、時間ごとに、実に様々な特技を持つ豊中市民が店長となって、手作り作品の展示販売や文化教室などの文化的商業活動が実践され、会員間の多くのコミュニケーションも生まれています。ただ、普通の生活者に店舗の経営はできませんから、常駐のディレクターが営業のサポートをする仕組みが用意されました。このようなしかけは、インキュベーションと呼ばれ、本来、そこにあったらいいなと思われるニーズを徐々に形にしていく手法で、わが街らしさづくりにつながっています。
手作り作品の展示販売と文化教室を行うB-FLAT

 ─ 手作り作品の展示販売と文化教室を行うB-FLAT 

●北摂地域の生活文化拠点に
 豊中駅前での試みを紹介しましたが、では、千里のようなニュータウンで、らしさがよく顕在化している街はないのでしょうか。千里ニュータウンは、千里という生活文化圏と、もう少し広い“北摂”という生活文化圏の中で語られることがあります。北摂と同じような拡がりを持った地域に、“阪神間”があります。阪神間は、住宅地を中心とした生活文化圏として広く知られ、既に地域ブランドを形成しています。おもしろいのは、阪神間には、阪神間という比較的広い地域を示す地域ブランド以外に、“芦屋”や“夙川”、“御影”、“西宮”のような、もう少し範囲が狭く、それぞれタイプの異なる地域ブランドも同時に存在することです。個々に個性のある地域の集合体として阪神間という生活文化圏が形成されているのです。また、阪神間という地域ブランドと芦屋などの個々の地域ブランドとは、相互に影響しあいながら、育ってきた点も、おもしろいとことです。1995年の阪神・淡路大震災は、阪神間に甚大な被害をもたらしました。特に、生活、文化という点では、震災後、10年以上経過し、人口は回復したのですが、多くの住民の入れ替わりがあったことが痛手となっています。しかし、幸いなことに、阪神間という地域ブランドが震災前から形成されていたために、そのらしさは受け継がれ、再び発展しつつあります。
 千里のこれからを考えるときには、阪神間と同じことが当てはまるのではないでしょうか。北摂の中に千里があり、千里のイメージが北摂の地域ブランドを育むのです。千里の北に新しく開発が進む“彩都”もまた、北摂を構成するひとつの地域であり、千里とはひと味違ったらしさが育まれることでしょう。今後は、千里や豊中、そして、彩都や箕面、江坂、吹田、茨木など、北摂地域を構成する様々な街が成熟する中のひとつの拠点として千里を捉え、千里を拠点に北摂の地域ブランドが育まれていくという発想が大切だと思います。地域ブランドが育まれることで、周囲にその価値が認められると同時に、そこに暮らす人にほこりが育まれることでしょう。

街角企画(株) 代表取締役
 山本 一馬氏
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(やまもと・かずま)
 1972年三重県四日市市生まれ。大阪大学大学院工学研究科修了。複数のコンサルタント組織で、阪神淡路震災復興、地方自治体の都市計画、大規模遊休地の土地利用転換、ランドスケープデザイン、密集市街地における建替事業、介護施設の事業化、参加型まちづくりなどを担当し、2004年3月に街角企画(株)を設立、現職に就く。近畿大学非常勤講師、特定非営利活動法人高齢者外出介助の会理事、中心市街地商業活性化アドバイザー、豊中市まちづくりアドバイザー。京阪神を中心に、地域、コミュニティ、にぎわいなどをキーワードとして、地域づくり、中心市街地活性化、コーポラティブ住宅事業等に取り組む。
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